ラムサールとは?

ラムサール条約の「ラムサール」とはイランにある都市の名前です。 1971年2月2日に湿地の保全に関する条約として採択され、1975年12月21日に発効されました。 その後「COP」と呼ばれる締約国会議をおよそ3年に一度開いています。 日本は1980年より加入し、最初に北海道の釧路湿原が登録されました。 現在国内の登録地はは2018年のCOP13で新たに2か所登録され、52か所154,696haとなっています。
ラムサール条約の正式名称は「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」といいます。 「水鳥」とありますが、水鳥以外にも保護すべき生き物たちが生息していれば、幅広く登録をしています。 鴨池は北陸特有の生態系を有するとして
片野鴨池は北陸特有の生態系を有するとして1993年に釧路で開かれたCOP5で登録されました。
第二次世界大戦後には最大の危機が訪れます。

敗戦した日本各地にGHQの部隊が配備され、福井県に駐屯する軍人が銃による鴨猟を行いました。
鴨池は江戸時代から坂網だけを行ってきた場所で、周辺の池では行われていた銃猟から逃げてきたカモたちが安心して暮らせる場所でもありました。

そんな場所で銃を使ってしまったためカモは激減し、鴨池も坂網猟も存続の危機に立たされます。
そこで当時の組合長「村田安太郎」が立ち上がり、決死の覚悟で東京の本部まで乗り込んで鴨池での銃猟禁止を訴えました。
努力の甲斐あり、GHQで「鳥獣保護行政」を担当していた戦後日本の鳥獣保護政策にも大きな影響を与えたO.L.オースチン博士に理解してもらえ、鴨池ではアメリカ軍でも銃猟をできなくなりました。

このように坂網猟はカモをとるために鴨池の環境管理をし、鴨池の危機が訪れるたびに行動することで、カモを増やし現在に続く豊かな生態系を形成してきました。

カモを捕ってはいますが、鴨池を守るとても大事な力となってきたのです。

池を守る活動

現在でも坂網猟師は鴨池の環境を守る活動を続けています。

鴨池の中で昔水田だった場所は浅いので、夏になると一面草に覆われます。
雑草と言ってもマコモやヨシは人の背丈を超すほどの大きさになります。
これらを放置すると、毎年積もる草により池がさらに浅くなり、最終的には木が生えてきて森となります。

この遷移を防ぐために毎年草刈りをするのも坂網猟師です。
秋になると一度鴨池の水を抜き、気温が上がらない朝早くから集まって草刈りを行います。

水を抜くといってももともとたんぼだった泥深い池です。
雑草の株に乗りながら刈っていくというとても困難な作業となります。
株から足を踏み外すと腰まで泥に使ってしまうことすらあるのです。

そんな大変な作業を毎年続けてきたおかげで、今も鴨池は池であり続けているのです。